「量と質どちらが大事か」という話は受験界隈でよく出てきますが、自分は圧倒的に質の方が大事だと考えています。
「1日10時間勉強しないと無理」「参考書を何周もしないといけない」——こうした量を前提にした受験論が世の中には溢れています。しかし、こうした考え方には大きな弊害があります。なお、本記事は一般入試の受験者を対象としています。
目次
・2. 量を増やしても学力はそれほど伸びない現実
・3. 「解説を読んでなるほど」は理解ではない
・4. 本質的な勉強とは何か
1. 量重視の受験論が受験生に与える弊害
「東大に行くには高1から勉強しないと遅い」「1日10時間勉強しないといけない」「この参考書を何冊も完璧にしないといけない」——こうした量を前提にした受験論には、大きな弊害があります。最初から「これだけやらないと無理」と言われることで、受験生のハードルが上がりすぎてしまい、上を目指す機会を奪ってしまうからです。
本来は1年間でも適切に質の高い勉強をすれば合格の可能性は十分あるのに、量を前提に話をしてしまうことで、その可能性を最初から下げてしまっています。
- 単純でわかりやすい: 「この参考書を何周すれば大丈夫」という方法はやることが明確で信じやすい。
- 満足感が得られる: 「これだけやった」という安心感が生まれやすい。
- 言い訳になる: もし落ちても「これだけ量をやったのだから仕方ない」と言い訳にできる。
2. 量を増やしても学力はそれほど伸びない現実
実際には、量ほど学力差は生まれていないことが多いです。高1・高2から勉強している人が必ずしも圧倒的に学力が高いわけではありませんし、浪人して勉強量が増えたとしても、それに比例して学力が大きく伸びているわけでもありません。
勉強時間を増やせば増やすほど学力は上がる。高1から始めれば有利、浪人すれば伸びる。
量によって学力が増えること自体は否定しないが、その増え方は思っているほど大きくない。勉強量に対して得られる学力の増加はコスパが非常に悪い。
世の中で言われている勉強量は明らかに過剰です。多くの人が信じている「必要な勉強量」という感覚は大きく誇張されており、実際にはその10分の1以下の勉強量でも十分に成り立つ可能性があります。大学受験程度のもので、そこまでの量を投資する必要はないと思っています。
3. 「解説を読んでなるほど」は理解ではない
勉強でよくある誤解として、「解説を読んでなるほどと思うこと=理解」というものがあります。しかしこれは理解とは言えません。
解説を読んで「なるほど」と共感することはできますが、それだけでは本質的な理解ではありません。似た問題であれば解ける可能性はありますが、問題の角度が少し変わると解けなくなる可能性が高いです。なぜなら、その解法を自分で構築できていないからです。
解説を覚えることでも、解説に共感することでもありません。その解法を自分の頭でゼロから構築できる状態が本当の理解です。問題を見たときに、この条件ならこの発想が必要だと自分の思考から解法を組み立てられる状態まで到達して初めて、その分野を理解したと言えます。
よくある「解説を読んだあとにもう一度解く」という勉強法も、解説を見ながら再現するだけなら意味がありません。それは丸暗記とほとんど同じだからです。勉強では「解説を読んだかどうか」ではなく、「その解説を自分で再構築できるか」を基準にする必要があります。
4. 本質的な勉強とは何か
思考する勉強では、まず解説を見る前に十分に考えることが重要です。問題を見たときに、どんな条件があるのか、どんな発想があり得るのかをできるだけ自分の頭で考えます。そのうえで解説を読むときには、なぜこの発想になるのか、なぜこの式を使うのか、なぜこの順番で考えるのかといった思考の流れを論理的に分析します。
さらに、その解法を自分で説明できる状態まで理解することが重要です。解説を覚えるのではなく、なぜその発想になるのかを言語化できる状態にする必要があります。
- ①解説を見る前に十分に考える: 条件を整理し、どんな発想があり得るかを自分の頭で考え抜く。
- ②解説の思考の流れを論理的に分析する: なぜこの発想か、なぜこの式か、なぜこの順番かを考える。
- ③解法を自分の言葉で説明できる状態にする: 解説を覚えるのではなく、自分でゼロから再構築できるまで理解する。
また、完全に量が不要というわけではありません。まだ学んでいない分野があるとか、特定の分野だけ触れていないという場合は問題があります。ただこれは量の問題というより質の問題です。質の高い勉強をするためには、全分野を一通り学んで学習の抜けを作らないことが必要になるからです。最低限の網羅は必要ですが、それ以上の量は本質ではありません。
受験勉強は量ではなく質で決まります。そして1年間で合格することを「逆転合格」と呼ぶこと自体、量を前提とした間違った受験観から来ています。本来は質の高い勉強をすれば1年間でも十分に戦えます。それは逆転でも何でもなく、本来あるべき勉強の形です。